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今までの主な記事
「ここは天国?」
チベット(色達)ではこの世のものとは思えない景色を見ることができました。

「バイクでのベトナム縦断1,800km」」
これはとにかく最高にやばかった!!笑

「笑顔ってやっぱすごい!!」
インドで出会った子供たち♪

「ついについに。。。空一面のオーロラ!」」
フィンランドで待ち続けて見た空満点のオーロラ。

「やっぱり感動した、ウユニ。」」
これを見るためにルート変更してまでも南米に来た。

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アウシュビッツ収容所

「世界一周262日目」







正式名称

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ
     -ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所」






ここでは1940年から1945年までの間に約150万人の人達が殺されたとされている。
しかしその数も定かではなく、それはナチスが何の記録も無しに殺した人がほとんどだから。
(100万人とも600万人とも言われている。)




内訳(130万人とした場合)は

ユダヤ人       110万人
ポーランド人     14万人
ロマ(ジプシー)   2.3万人
ソビエ軍捕虜     1.5万人
その他(同性愛者、身体障害者、精神障害者、黒人、エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家、ナチスが見なした者) 2.5万人


その内の生還者はたったの10%





収容所には様々な国、地域から連れて来られた。
(イタリア、ポーランド、チェコ、フランス、オーストリア、ルーマニア、ノルウェー....)
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このアウシュビッツ強制収容所は1940年に建設。
最初に連れて来られたのはドイツ人刑事犯30人。
その後、ポーランド人政治犯が728人。










そしてヨーロッパ諸国で「ユダヤ人狩り」が行われ、多くのユダヤ人が捕まえられここアウシュビッツに収容された。







ここで疑問。



なぜユダヤ人がこんなにも多く殺されたんだろう。







調べるとそれは「差別」だった。





ユダヤ人に対する差別ははるか昔の紀元前から存在していたそうです。
紀元前にユダヤ人が住んでいたイスラエルはローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人は世界中に散らばった。

そしてそこで土地を持たないユダヤ人は金融業、政治にまでも進出していった。
元々キリストでは金貸しが禁止されており、それを良く思っていない人もいたりして、それがユダヤ人差別を助長していった。



様は商売で成功している裕福な人達が多いから。



他にもイエス・キリストを殺したのがユダヤ人、排他的な思想を持っている。などいろいろな理由があるそうです。





そして、ヒトラーの時代。


第一次世界大戦後のドイツは、多額の賠償金も抱えており、経済も悪化。
そこで誕生した新政権のドイツナチス党。
経済も回復していき、国民の支持を得たヒトラー。


そして彼は


「血統的に優秀なドイツ民族が世界を支配する運命を持つ。」

と主張し、血統を汚すとされたユダヤ人や障害者迫害などの政策を行った。



「世界中のユダヤ人は、我々アーリア人の純血を汚そうとする陰謀を張り巡らせている。これを阻止するには、組織的に彼らを狩り出し、社会から除外するしかない。」



彼はユダヤ人を迫害するための法律を作り、ユダヤ人は公務から外され、弁護士、医師免許も取り消された。
そして、ユダヤ人地区、ユダヤ教会を打ち壊し、略奪。


そしてヒトラーはプロパガンダを盛んに行い、ドイツ国民を洗脳した。
それが戦中の極限状態の中でエスカレートして、ホロコースト(大虐殺)に至ったと考えられている。










自分が行ったのはアウシュヴィッツ第一強制収容所とアウシュヴィッツ第二強制収容所(ビルケナウ)。



そして、もう一つのアウシュヴィッツ第三強制収容所(モノビッツ)の三カ所を総称してアウシュビッツ収容所と呼ぶそう。






「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の看板
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このBが逆さになっているのは作った人のせもてもの抵抗だそう。
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まずここにはヨーロッパ各地で集められたユダヤ人などが列車で連れて来られた。





何時間も何日間もの間、狭いこのトロッコにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、中には座れない人、排泄もろくにできない人もいて列車の中は最悪な環境だったそう。
中には列車の中で亡くなる人もいたそうです。
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そしてやっとの思いで着いた場所。
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そこがアウシュビッツ






疲れも取れないままの体で、並ばされ選別される。


ただ左か右に。
この写真の様に。
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それも曖昧に決められたルールによって。





選別されたのは


「労働者」「人体実験の検体」


そして


「価値なし」




この「価値なし」とされた人々が送られたのがこのガス室
多くが子供や女性、お年寄り。
実際、連れて来られた70~75%の人達がこのガス室に運ばれたそう。



そしてシャワーを浴びるとの理由で入れられたこの部屋。
DSC_23sv93.jpg


シャワーの水の代わりに入れられたのはチクロンBという殺虫剤
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中に入った人たちは15分~20分の間に死んだそう。

死体からは金歯が取られ、髪の毛が取られ、指輪、ピアスも取られた。



切られた髪の毛はマットにされた。
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大量の鞄
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書いてあった年代を見ると当時の様子が思い浮かび、ほんとに悲しくなった。


大量の眼鏡
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義足や杖
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これは子供の靴。
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こんなに小さなサイズ。


こんなにたくさんの子供がだよ?
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その後、焼却炉で死体は焼かれ、1日に350人の死体が焼かれていたそう。
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ここは「死の壁」と呼ばれる場所。
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この奥の壁に並ばされ、多くの人々が銃殺された。

窓に付けられている木はその行為を見れないようにするため。








そして「労働力」とされた人々は、持ち物を全て奪われ、髪を切られ、裸のまま消毒液をかけられた。



そして彼らの名前はその時点でなくなり、新しい名前は番号
体に刺繍された。


子供でさえ。
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そして労働者は収容所の増築作業だったり、工場や鉄工所、軍事工場などで働かされた。
休むことなしに働かされ、食べるものも満足に配られず、倒れる者、ミスした者は容赦なく殺された。
次から次へと収容所の人数が増えるため、「代替え可能な消耗品」として道具のように扱われた。


また、ある仕事では午前中に穴を掘り、午後にそれを埋めるといた何の意味もない作業もさせられていたそう。






そして、食事。




朝は500ccのコーヒーと呼ばれた液体。

昼は1ℓのほとんど水のような腐った野菜で作られたスープ。

夜は300~350グラムの黒パン、マーガリン3グラム、薬草の飲み物。




重労働と飢えで多くの人が栄養失調になった。

この写真の女性は収容時は75キロ、解放時は25キロにまで体重が落ちていたそう。
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子供たち
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こんな体見たことがない。







そして収容所の環境はとてつもなく最悪な状況だったそう。
DSC_24daf21.jpg



初めはコンクリートの地面に藁を敷いて寝ていたが、その後マットレスが支給された。
40~50人の部屋には200人の人が収容されていた。


その後、三段ベッドが作られたが、1段ごとに二人の囚人が寝かされ掛け布団は汚れた穴だらけの毛布だけ。
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もちろん服は薄っぺらい囚人服1枚のみ。
靴はサンダル。
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ここは元々ポーランド軍の施設だったらしく、暖房は付いてはいたが付かない日も多くあったそう。


自分が行った日はマイナス20℃くらい。
もちろんこの収容所に入っても全然暖かくない。
隙間風は通るし、地面は土。
外と何ら変わりない。


自分は服を大量に着込んでいるにも関わらず、とてつもなく寒かった。
いや、もう寒いなんて次元じゃなくて痛かった。
一瞬、手袋から手を手を出すだけですぐに手が痛くなる。
それも強烈に。


収容所のトイレ
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収容所の中からの景色
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外にも中にも絶望しかなかったんだよね。



また、収容所の人々は罪状によって分類されてそのグループ間に「序列」を付けられた。
労働内容、食事の質、待遇を異なるようにすることで、被収容者間の連帯を防ぐようにした目的があったとされているそう。

そして、囚人の中からカポ(囚人の頭)を選んで、囚人が囚人を管理していたとされている。
このカポには多くの特権が与えられた。
そしてこのカポは同じ囚人に対して容赦ない虐待を繰り返し行っており、被害者の中にも加害者が存在したとされている。


彼らもそうしないと殺される立場であり、それが許される行為では全くないけど、彼らも極限の状況に置かれていたんではないかと思う。

そんな極限の精神状況までも作り出したナチス。






また、「人体実験の検体」とされた人々の中には子供が多かった。
その中でも双子。

子供の目の中へ化学薬品を注入して瞳の色を変更する実験、人体の様々な切断、性器の転換。
他にも、2つの同じ臓器が1つの身体で正常に機能するかを確認するために、双子の背中同士を合わせて静脈を縫い合わせることで人工の「シャム双生児」を作ることを試みたりされた。
この手術は失敗し、癒着した双子の姿はあまりにも見るに耐えなかったため、手術の3日後に両親によって窒息死させられたそう。
その他、永遠と冷蔵庫に入れられ人は何度まで耐えれることができるのかなど。。。

実験から生還しても解剖するためにほとんどが殺害され、役に立たない実験体は処分されたそうです。











そして、1945年1月27日、解放

解放された時に残っていた人達の数はたった7,500人。
直前に多くの人が殺されたり、他の場所に移送されたり、そして証拠が残らぬようガス室等を爆破したりした。



解放直前の子供たち
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自分が小学生だった頃に、何かの授業で課題を与えられた。
何でもいいから一つ、歴史上で起きたことを調べること。


自分が選んだのはアウシュビッツだった。




そして、今こうやって実際にここに来た。



本音を言うとここで150万人の人が殺されたなんて想像出来なかった。
それよりもこの150万人っていう人の数が想像出来なかった。





そんな想像出来ないほどの人がここで実際に殺された。





信じられない。

実際に行ったのに信じられない。



けど、実際に起きたこと。





もう二度とこんなことが起きてはならない。





ずっとずっと語り継がれていかなければならないことだと思った。








そしてここに来ることができ、感じることができ、ほんとに良かったと思う。









また、アウシュビッツには中谷さんという日本人ガイドの方がいらっしゃり、非常に分かりやすく説明して下さるそうです。
自分が行った時はずっと休みだったので、仕方なく英語でのガイドでしたが絶対に日本語のガイドの方が良かったと思った。





まだまだ知らないことがたくさんある。
知らなくてはいけないことがたくさんある。




だからまた行こうと思う。




絶対に。
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| ポーランド | 06:50 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

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| Appalmupt | 2013/05/10 11:19 | URL | ≫ EDIT

えみさん*

そうそう!
Life is beautifulはいい映画でした。
帰ってまた見たい映画。
風邪には気をつけまっす!!!

| daisuke | 2012/02/12 23:20 | URL |

こうーたさん*

そうっすね。
行くことによって、いろいろ知らないことも見えてきます。
けど、それ以上に何も知らない自分がいて。
けど、この旅はいい機会だなって思いました!
そしてカメラはもう末期です。。
ドイツで買い替えるかもっすー><

| daisuke | 2012/02/12 23:18 | URL |

やまちゃん(たんがく)さん*

あの寒さの中で。
行ったことで、直接感じることが出来てほんとに良かったと思いました。
世界には知らないことがたくさんありますね。
少しづつでも知っていこうと思ってます。
こちらこそありがとうございます。

| daisuke | 2012/02/12 23:16 | URL |

はっち*

久しぶり~!
おれさー、シンドラーのリスト見てないんよ~。
見てくればほんとに良かったともの凄く後悔。
舞台の場所もちゃんとあるんて。
映画って勉強にもなるよね。
けど、今回行けたことで知らんこといっぱい知れた!
けど、まだまだ知らんちけんこともいっぱい!
なのでまた来ます。
世界にpeaceを!

| daisuke | 2012/02/12 23:14 | URL |

LifeisBeautifulでやってた場所かね!?あの映画すごく衝撃的だった(;;)けど忘れちゃいけないって思った映画だよ。

あ、寒いから風邪ひかないように旅してねー☆

| えみ | 2012/02/12 23:11 | URL |

ダイスケのブログ見ていつも思うこと

実際に自分の目で見ることの大切さ

いい時間過ごしてるねー


カメラどうなったん?

| こうーた | 2012/02/11 23:04 | URL |

すごい物を見たんだね。
僕は、ワイマール郊外の収容所を見たことがありますが、
氷雨降る中を見て回って、心が凍り付きました。
平和を祈ります。
ありがとうございました。

| やまちゃん(たんがく) | 2012/02/11 22:39 | URL |

お久しぶり♪

アウシュヴィッツ…私も高校の世界史で衝撃を受けたなその時見た映画シンドラーのリスト、、、私の大好きな映画ライフイズビューティフルもココが舞台で悲しかったな

人間が人間としての扱いを受けてないって悲しすぎこんなことが実際に起きてたなんて本当信じられないけど真実なんだね
こんなこと二度と起こっちゃいかんね。

世界中にPeaceを


| はち | 2012/02/11 13:44 | URL |















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